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さらば青春の遺産2【アーケード基板を処分する】

その昔、月刊ゲーメストというアーケードゲーム情報誌がありました。

ゲームのハイスコアや新作ゲーム、稼働中のゲームの攻略記事など、様々な情報が掲載されていたのですが、その中でも最も私の目を引いたのが、中古アーケードゲーム基板の広告記事でした。

前回の記事「さらば青春の遺産」【メガドライブなどを売却する】でも少し触れましたが、アーケードからの移植作品で私が納得出来るもの...残念ながらシューティングゲームでは一つもありませんでした。
特に私の最も好きだった縦画面のシューティングゲームは、家庭用に合わせて横長にアレンジされる事が多く、それはそれは残念な移植が多かったです。

そこにきて、中古アーケード基板の広告記事は、”本物”がこの値段でできるのか!と興奮したものです。

ただ、当時は今とは違い、インターネットで手軽に物事が調べられる環境ではなく、それら広告記事は遠い世界のものとして諦めておりました。

しかし、時が経ち、学校も卒業し、ある程度のお金も自由に使える様になり、タイミングよくインターネットも普及した20世紀末、私は一念発起しアップライト筐体とアーケード基板に手を染めました。

でも、違いました。

RGBモニターに鮮明に映し出される滲みの一切ない本来のドット絵、画面上に飛び交う無数の弾、キャラクターが溢れてもチラつかないマシンパワー、オリジナルの東亜プラン節を聴かせるオーディオ出力、ゲームセンターそのままの操作を可能としたアップライト筐体、それらを24時間好きな時にプレイできる自由、そしてオリジナルを持つという所有感..........

でも何かが違いました。

どうやらゲームセンターの雰囲気、背後のギャラリーなど、そういった要素がそれらゲームに特別な魅力を与えていた様です。また、ボタンを押してクレジットを増やす事も、当時小銭を積んで臨んでいた私には違和感でしかない様でした。(家に両替機を置く根性はありません)
特に、背後のギャラリーの存在は、普段はやらない派手な動きで弾を避けたりと、魅せるプレーを意識することで、充実感、やり甲斐といったものを感じたものです。

そんなわけで、徐々にプレイする時間が減り、やがてそれら基板は例の正倉院(屋根裏)に長年置かれる事に。


時は経ち、今回メガドライブ関連の処分をするにあたり、セルフで見積もりをしていますと、アーケード基板の買い取りという項目が目に入り、久しぶりに基板の事を思い出したのです。

確か数枚持っていたな、と思い正倉院にガサを入れると、買った覚えのない基板が沢山出てきて、大変驚きました。

dsc_2529

これはタイトー(開発は東亜プラン)のTATSUJINというゲームの基板で、買った事を覚えていた思い出のあるゲームです。

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「大旋風」、「達人王」、「鮫!鮫!鮫!」についても購入した記憶はありました。
いずれもゲームセンターで遊んでいたゲームです。

しかし、買った覚えがない「ドギューン」「フィグゼイト」「究極タイガー」「ヴィマナ」「アウトゾーン」「V・Ⅴ」まで発掘されたのには、大変驚きました。

「究極タイガー」と「アウトゾーン」はゲームセンターでよく遊んでいたので理解できるのですが、他のものは意味がわかりません。収集癖とは恐ろしいものです。

しかしまあ、手持ちの基板全てが東亜プラン(開発)のゲームというのは、我ながら一貫していてクスっときました。

そして動作テストをしてみた結果、意外にも殆どの基板がロムの接点不良、ボリュームのガリなどもなく、普通に起動しました。
さすがは業務用だな、なんて思ったのですが、グニャリと半田付けされている電解コンデンサー群や足の錆びたロムを見るに、ああ、こいつも近いうちに寿命がくるのか、と寂しい気持ちになるのと同時に、思い出の品を売る事を躊躇する気持ちが薄らいでいくのを感じました。

 


 

そして時代はスマホのゲームが隆盛を極める世の中となってしまいましたが、私はスマホのゲームはしません。
物理キーがないのはどうも、、という感じで。
どうもこの分野ではいち早く時代に取り残された様です。

ここでご紹介したアーケード基板のゲーム、そしてメガドライブのゲームは今ではレトロゲームと言われています。
ゲームはパッケージではなく、データで販売される様な時代となり、またこれらのレトロゲームのいくつかは最新のゲーム機でデータ配信されているものもあり、今でもプレイする事ができます。

でも、最新機種でこれらダウンロードしたレトロゲームをリストから選んでプレイすると、何かミニゲームをプレイしている様な気持ちになり、そのソフトを軽んじてしまっている自分に気がつきます。
また、レトロゲームのクソゲーはダウンロード版で復刻する事はまずありません。
”往年のクソゲー”的な話題性でリリースされるものも無い事は無いのですが、救い様の無いクソゲーは今後も実機でやるしかないのです。

ケースからカートリッジを取りだし、本体に差し込みゲームを始める。
そして早々にゲームに行き詰り、救いを求めて説明書で色々と調べるも有益な情報は得られず、
「このクソゲーが...」と呟く。
友人と交互に挑戦し、お互いのプレイを客観的に見る事で新たな発見をするも、理不尽な壁にぶち当たり、結局それ以上進めず...
後にゲーム雑誌に載っていたコンティニューの裏技を使うも、なんと回数制限があり、ゴリ押し叶わずお蔵入り.....
幾度となく繰り返したこのパターン...
今になって考えてみますと、これも趣あるゲームの嗜みの一つであったと、時代に取り残された元ゲーマーはそう思うのです。

 

機材が手元からなくなっても、これら思い出はなくならず。

メガドライブ、そしてゲームたちよ、思い出をありがとう、という気持ちで荷詰めをしております。

さらば我が青春の遺産。

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